コラム

固定概念に左右されない

教育に携わる中で重要なのが、お子さんの発達段階を理解することです。
特に学校教育では、一定レベルを確立して、皆の成長を考える中で、
教育カリキュラムが確立されています。


これは教育だけに限らず、お稽古事でもまずは「型」を身に付けさせてあげることが、
自分の力で花を咲かせていく時期にもとても大切なことです。


しかしながら、型が身に付いた時期からは、通例を度外視することも、
子どもたちの可能性を伸ばしてあげるためには、重要なことだと思います。



私共の本部校の発表会の様子が、20日(火)19時~とちぎテレビにて放映されますが、
その中で、ピアノを初めてまだ2年の男の子がハイドンのソナタ 全楽章を演奏しています。


通例を守っていたら、ハイドンソナタにたどり着くのはピアノを初めて何年後でしょうか?
恐らくは、7年ほどをみないといけないかもしれません。


「このテキストを習ったら、次はこれ」というのが、音楽教育者の中での固定概念としてありますが、
テキストの中での1巻、2巻の習熟度はとてもゆるやかに出来ています。

子どもたちの教育の中では、反復的に繰り返すというのも大切な過程です。
しかしながら、子どもたちの様子を見ていて、出来そうなことは取り組ませることが、
可能性を伸ばしてあげることには最も重要だと思います。


子どもたちの可能性は無限に広がっています。
私たちの中での固定概念が、子どもたちの可能性を狭めることにも繋がりかねません。
指導者が、指導者の判断で「出来る」と断言してあげたことは、不思議なくらい子どもたちはこなします。


長い曲を弾かせるために、一つおさえなくてはいけないことは、分析力です。
楽譜を最初から最後まで一定に読ませるのではなく、「同じところ」「似ているところ」を分析してあげると、
長い楽曲でも子どもたちにとっては、弾きやすくもなりますし、覚えやすくもなります。

日本人は、ともすると「人と同じこと」に安心感を覚えますから、
カリキュラムを守ることから外れるのは、とても勇気のいることかもしれません。


ですが、お子さんの可能性を開花させてあげるためには、時には型から外れていくことも必要なのです。

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